本日3月30日はジムオープン一周年記念日です♪
運営していけるのか不安もありましたが、お陰様で無事一年を締めくくれました。
これも会員様の支えがなければやっていけなかったと思います!
二年目には数々の目標があります。
達成できる様頑張ります☆
今月末にAKTGYMを広告掲載するのですが、その編集や企画・馴れないパソコン作業で毎日夜中まで苦戦してます…
掲載は一周年記念の内容です!
一年って本当に早いです。
丁度一年前、オープンに向けて夜遅くまでペンキを塗っていました。
馴れない作業を一人でポツンとしてると、みんなが差し入れを持ってきてくれたり、手伝ったりしてくれました。
岡島さんとは毎日打ち合わせをし、作業お願いしたりと…人生の中でも忘れることのない充実した一ヶ月でした♪
ジムから車で帰宅していました。
時刻は22時30分頃
自宅から三軒隣を自宅方面に歩いている母親を見ました。(間違いなく母親です)
こんな時間にも関わらず、風呂あがりのタオルを頭に巻き、ピンクのニット系の薄着格好でしたので、物騒だと声をかけようと、抜かしざまに停車し車を降りました。(物理的に母親が車の前を通過することはありえません・ほんの数秒後です)
ところが辺りは静まり返り、母親どころか誰もいません。
?????
自宅に帰ると母親は違う服装でテレビを見てました。。。
全く笑えません。
※家内も同乗しており、母親を確認してます。。
時という漢字。
どんな人生でも、人は最後(日)に必ず寺に世話になる。人生に大差なし!
とあるオーナー様がおっしゃってました。
なるほどー! そう思えば気が楽になるのかー!
と感心しましたが、よくよく思うと莫大な財産を相続し、贅沢三昧のオーナー様には少し説得力がありませんでした笑
豊かな国、日本。
都市は人が溢れ、一時は工業・産業大国に。
お金を出せば何でも物が買え、人々に不自由はない。
そんな日本も貧しい時代がありました…
1876年(明治6年)福島県猪苗代
貧しい環境で育った清作(改名前)は幼少時、誤っていろりに片手を入れてしまい指がなくなりました。
それが原因でいじめにあいますが、必死に勉強し医者になりました。触診が出来ない為、細菌学に生涯を捧げ、ロックフェラー医学研究所研究員後、生涯を黄熱病や梅毒等の研究に捧げます。
ノーベル生理学・医学賞の候補に三度名前が挙がりましたが、黄熱病の研究中に自身も罹患し51歳で死去します。
電子顕微鏡が完成し黄熱病の病原体が発見されたのは彼の死後でした。
彼は時代に負けたのでしょうか?
決して負けた訳ではありません。
黄熱病研究の為に生涯を捧げ、何千万人を救おうと疾走してきた姿は、永久に名を残す偉人そのものです。
石原元都知事が会見を開き、座して死を待つつもりはないと豊洲市場問題に苦言しましたが、曖昧な会見で何を主張したいのか都民には伝わらなかったと思います。
結局のところうやむやで決着がつくと思われますが、求めるところは責任追及ではなく早期解決です。