野口英世

豊かな国、日本。
都市は人が溢れ、一時は工業・産業大国に。
お金を出せば何でも物が買え、人々に不自由はない。

そんな日本も貧しい時代がありました…

1876年(明治6年)福島県猪苗代

貧しい環境で育った清作(改名前)は幼少時、誤っていろりに片手を入れてしまい指がなくなりました。
それが原因でいじめにあいますが、必死に勉強し医者になりました。触診が出来ない為、細菌学に生涯を捧げ、ロックフェラー医学研究所研究員後、生涯を黄熱病や梅毒等の研究に捧げます。
ノーベル生理学・医学賞の候補に三度名前が挙がりましたが、黄熱病の研究中に自身も罹患し51歳で死去します。
電子顕微鏡が完成し黄熱病の病原体が発見されたのは彼の死後でした。

彼は時代に負けたのでしょうか?
決して負けた訳ではありません。

黄熱病研究の為に生涯を捧げ、何千万人を救おうと疾走してきた姿は、永久に名を残す偉人そのものです。